西日本は寒いらしいですね。
桜島は昨日、初冠雪だったと田舎の両親が言っていました。が、東京は暖かく、春一番が吹いたとか吹かないとか。
「“いい思い出化”できない傷を信じていたい」
です。
川本真琴さんの歌詞すごいなーと思うのは、
誰がいて、どういうことがあって
という説明がないのに
景色がポンと見えるところ。
「愛しい」とか「寂しい」とか「懐かしい」というメジャーな感情の隙間にある繊細な感情をうまく形にしているところ。
この『桜』という歌も
「くしゃくしゃになってた捨てるつもりの卒業証書を ねえ かえっこしよ」
で始まる。
卒業式の直後なのかな
いや、何年か後なのかな、証書くしゃくしゃだし。
友達同士か恋人同士かもわからないけれど
「くしゃくしゃになってた」という無頓着な感じがいいじゃない。
大切にとっていた、わけじゃないのがリアルな青春って感じ。
「かえっこしよ」という軽々しさもいいじゃない。
今がどれだけ貴重なのかなんてわからないから
案外、雑に過ごしてしまう瑞々しい季節。
続いて
「はしゃぐ下級生たちに押されてほどけてしまう指先」
と、急に卒業式直後の光景がフラッシュバック。唐突だから、聞いている私も、もうその光景に引きずり込まれ、下級生にもみくちゃにされちゃう。
こんな感じで
中学or高校時代当時の風景と
それを思い出している現在の心境が
乱雑に交錯する。
友達以上恋人未満のクラスメイトへの甘酸っぱい恋心を歌っているのかな、と思いつつ。
サビで「桜になりたい いっぱい 風の中でいっぱい ひとりぼっちになる 練習してるの 深呼吸の途中 できない できない できない」
結局、そのクラスメイトととの間柄の話に終始するわけでもないのだ。
卒業して、大人になって、一歩踏み出す瞬間の、不安、頼りなさ、瑞々しさ、初々しさ。はちきれんばかりの春のエネルギー。青春期の不安定な衝動。そういうものを美しく描く歌詞だと思う。
私がこの歌で最も好きなフレーズは
「いい思い出化できない傷を信じていたい」
思い出化、つまり思い出にする、というのは「当時の瑞々しい感情は忘れる」ということと同義だ。
一つ大人になって、距離を置いて、
生々しい感情を持たなくなって初めて、その出来事はラベルの付いた箱に収まった「思い出」となる。
だからこの歌の主人公は、当時の苦い出来事を、苦い気持ちごと忘れたくないのだ、忘れないことによって繋がっている何かや誰かが愛しいのだと思う。
でも、どんなにそう思っても、時と共に思い出化されてしまうもので…。
だからこの歌は
青春期がいい思い出化されるまでの「ポスト青春期」を歌ったものだな、と20代前半のときに思ったの。
そのときにやっぱ川本真琴様すげーなと思ったの。