引越しをすることになり
なんとなくアドレナリン過多の日々を過ごしている。
引越しはほぼライフワーク。
転勤族の娘だし
一人で暮らすようになってからも
正規の引越しや
友人宅への転がり込み
居候など
多様な転居を繰り返しているので
効率よく荷造りし、つつがなく手続きできるものと自負している。
初めての引越しは4歳の時。
小さな段ボールを与えられ、それにおもちゃを詰めたのを覚えている。
覚えたての平仮名で「おもちゃ」と書き、ガムテープで封をして興奮した。
しかし、図に乗って「もっと何かしたい」とチョロチョロ動いていたところ、時間に追われながらの引越し作業にピリつく両親に怒られた。「もう!あんたは何もしないことがお手伝い!」と。
この「何もしないことがお手伝い」という言葉は折に触れ脳裏をよぎり、しゅんとなる。
その頃のわたし。
新型コロナウイルスに関する報道に、恐ろしくなったり、胸を痛めたり、「もっとなんとかならんのかね」と憤ったりしている毎日。こんな時、我が身が無責任にもどかしくなる。役に立ちたい、と思うけれど、冷静に考えて、残念ながら役には立てない。なんなら、ライブとかイベントを行うという点では、余計な感染の可能性を生み出してしまうわけで。(そんな集客力は無いけれど)
普段は気づかないけれど、イベントができるということは、平和で安全な日常が前提なのだなあとこういう時に実感する。
友人に紹介してもらった仕事で、日本の魅力的な観光地やイベントについて書くこともしているのだが、旅行も平和と安全と健康が前提。
その前提が崩れたとき、非力な子どものように、自分には何もできないことに気づかされる。頭の中で「何もしないことがお手伝い!」という言葉が響き萎縮しそうになる。
けれど、それではいけない。もうあれから30年。
やるべきことはしなくちゃいけないし、できることはやっていいのだ。
自粛、中止ばかりが得策ではない。
ライブやイベントを企画し遂行する人たち、参加する人たち、皆、大なり小なり悩んでいると思う。
無鉄砲に決行することが良いとは思わないし、短絡的に中止すれば良いわけでもないと思う。
きちんと予防すること、リスクが最小限になる努力をすることを心がけたうえで、やると決めたら、行くと決めたら、堂々と胸を張って!のびのびと楽しんで!