天元ふみブログ

片付けられない感情を歌う「片付けられない女」の日常

 

お母さんは30歳

今年の母の誕生日には
バラの花束を贈った。
50歳過ぎたあたりから母はバラに目覚め
バラ園巡りやバラジャムに心をときめかせていた。
そういえばシンプルにバラの花を贈ったことはなかったなあと気付いたのが3年くらい前。
でも、毎年贈る時には忘れていて、今年ようやく。

母の年齢を意識したのは
私3歳、母30歳のとき。
「私、3歳になったー!
ところでお母さんって何歳かな?7歳くらい?」と思い、尋ねたら「30歳」と言われ、どんだけー!?と思った記憶がある。
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そんな母も、もう還暦を過ぎ、なんなら私も三十路を過ぎた。
意識としては3歳の頃とあまり変わらないので(物心つくのは早かったと、思う)不思議な気持ちになる。
テレビを見ていて、堅い職業のちゃんとしたおじさんが、自分より年下で驚くことがある。でも、よく見ると、たしかに同級生の〇〇は現在こうなっていると言われたら納得しそうな風貌だったりして。
年齢なんてただの数字。だから気にしても仕方ない。
というが、数字は物事を判断する基準になるので、
やはり色々考えてしまう。
年齢と、それにまつわる思い込みについて考える。
偏見の強い人は苦手なので、やたら年齢を聞きたがる人は警戒するけれど、自然な流れでお互いの年齢が分かると「へー」と見方が変わったりして、面白い。
「私が〇〇生だった頃、この人は〇〇生だったのかあ」なんて知り合う前に思いを馳せたり「〇〇さんと同級生なんだ」と全く違って見える人との共通点を見つけたり。

岩手の新聞に土曜のライブ配信のことを書いていただき、天元についても詳しく素敵に書いてもらって嬉しいわあと思いつつ。「そっか、私って33歳なのか」と改めて思い知る。「いい大人じゃんか」と。そして、「へー。瀧川さんって57歳なのか。大人ー!」とか「真樹さんだけ書いてないな(笑)」とかどうでもいいことが面白かった。
逆説的だが、こういうことがあると、普段わりと年齢が関係ない社会で生きていんだなと思う。
のびやかさを幸せに思う。