天元ふみブログ

片付けられない感情を歌う「片付けられない女」の日常

 

鉄砲伝来

種子島出身と言いながら
実際は5年しか住んでいない。


でも詐欺ではない。
なぜなら
種子島が一番長く住んだ土地だから。
基本2~3年ペースで引っ越す転勤族の娘だったので5年って、ほぼ半生ってくらい長い。
しかも4~9歳という
自我の根幹を形成する時期に種子島で暮らしていたのは大きい。


今から30年前とはいえ
トイレはまだボットンだったし
ラジオが入らなかったし
朝刊は午後届けられていたし
野犬が時々出たし
台風の前後はお店から品物がなくなったけれど
花粉無いし

海には歩いていけるし
だくま(川エビ)採り放題だし
ずいぶんのびのび生きていた。


今、実家は鹿児島市内にあるけれど
種子島のほうがふるさとって感じがする。
高速船が港に近づくと、 うすべったい島のフォルムがだんだん見えてきてきゅんとする。
潮風にさびついた何十年も変わらない建物をみると、
思い出があふれてきて駆けだしたくなる。


ふるさとなんておこがましいけれど
種子島の5年間は無邪気でただただ楽しかった。
私は種子島が好きだ。


だから種子島知名度の低さを残念に思うことが多い。
種子島って、結構大きいの。
人口も3万人くらいいるし、市もある。
隣の屋久島は町しかないし、人口も少ない…けど…世界遺産…。
屋久杉、屋久鹿、もののけ姫…。
強い。
種子島の海はとってもきれいだけど
沖縄や奄美ほど南国ムードにあふれてはいない。
なんかこう、観光的な意味で弱い。
キャラが立ってない。
「そんなことはない!なんていったって、鉄砲伝来の地!」とか
「ロケット基地がある!」とか
工藤静香とキムタクがサーフィンしに来た」とか
武田鉄矢の別荘がある」とか
反論してみたとて、むなしい。


その虚しさを歌っているのだ、私は。「鉄砲伝来」で。


しかもこの歌は自分発信ではない。
ダディ竹千代さんのバンドで歌っているとき。
ダディさんが私のことを「こいつ種子島出身なんですよ。」 と紹介し
種子島でどんな暮らしをしていたんだ」と聞かれたので
「えっと、朝は保育園で『鉄砲伝来音頭』を踊ってですね…」
と話したところ、その鉄砲伝来音頭がお気に召したらしく。
「てっぽでんら~い~♪あとは忘れました」と言ったら
「なんでもいい。そのあとは適当に作れ。それをバンドでやる!」 と…。


覚えていない部分は
幼いころ「鉄砲伝来資料館」で見た
「鉄砲がいかに伝わったか」の物語をうろ覚えで歌詞にした。
結局「ドン!」で一体化できれば良いのだ。
いつまで1543年の話をしてるのだという空虚さと
そんなことより
火縄銃から発達した鍛冶技術が素晴らしいこととか
インギー鳥とか
「りんかけ」とか
たくさん魅力があるけど
全部いまいちキャッチーじゃないやけくそさを含めて「ドン!」 なの。


先日、ワンマンライブのアンコールで
石垣島出身のギタリスト大ハマゴロー氏と「鉄砲伝来」やったよ。

「鉄砲伝来」天元ふみ with大ハマゴロー - YouTube