天元ふみブログ

片付けられない感情を歌う「片付けられない女」の日常

 

「逢いたいのに逢えない」にまつわる考察

ライブをお休みしてますが
着々と歌を作ってはおります。
でも、
あんなにアホほど無計画に組んでいたライブがなくなると
そこで歌っていた歌を
カラダが忘れる気がします。
というか、忘れかけています。
リハビリ感覚で歌っています。
ミニライブ、と思ってご覧いただければ幸いです。
映像を凝ったり、ギターや声を重ねたり
他の楽器を打ち込んだりしません。
その代わり、ゆるく長くコンスタントにできたら、と思います。

 

さて1本目は
七夕ということもあり
「逢いたい、けれど逢えない」というテーマで。
好きな人には、当然、逢いたい。
逢いたいなら逢えばいいじゃん!
なんで「逢えない」の?!
片想いならば、話はわかるけど
なんで両想いなのに逢えないの?!
そこには、それぞれの事情があり、物語が生まれ、切なさもどかしさが加速します。
そして、その逢えない事情って
時代と共にかわるものでもあるな、と。
古典恋愛物語は
「逢いたいけど逢えない」理由のほとんどが身分の違い。
あとは物理的な距離。
現代社会で身分うんたらの話は(表向きには)無いし
このうえ、もし、将来「どこでもドア」的なものができたら
逢えない物理的な理由なんて
きっとほとんどなくなっちゃいます。
でも、逢いたいけど逢えないもどかしさは永遠に無くならない気がします。
逢おうと思えばいつでも逢えるという状況になってしまったからこそ生じる悩みや迷いもあると思うし。

 

 

んで、この「すごく会いたい」という歌ですが5〜6年前に作りました。
夜遅くに
会いたいなー!って強く思った人に
そうメールしたところ
「今日はぐっすり寝て、明日ベストな体調で会いましょう」と返事が来たときに
なんだかもどかしくなって作りました。
きっと、あのとき
どこでもドアがあったとしても
使わなかっただろうな。
逢いたい、って結局
自分ひとりのワガママだし
相手も同じくらい強く
自分に「逢いたい」って思ってくれなきゃ逢えないよ。っていうね。
織姫と彦星は年1回しか逢えないから
その分、相手の気持ちとか余計なことは案外考えないで済みそうだな。などと思ったりします。

 

 


天元ふみミニライブ 2018/7/7 逢いたくて逢いたくて~すごく会いたい

 

 

さて、サマージャンボ買うぞ〜!